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徳島大空襲での体験談:伊澤 千代

最終更新日:2016年4月1日

 徳島市安宅 伊澤 千代

 徳島大空襲は、B29が編隊で徳島上空に飛来し、すさまじい爆音と爆撃が始まり、二、三時間で徳島市街地全域が焼野原となりました。
 女学校三年後半より警戒警報、空襲警報が度々発令されると、頭巾をかぶり、一年生の避難指導員として一年教室へ走り、引率して防空壕に誘導します。ある日の空襲警報中、一〇〇メートル先に爆弾が投下され、ものすごい地響きで思わず頭を抱えてすくみます。空を見るとビラが投下されヒラヒラと飛び散っています。しばらくして解除され、教室へ誘導、授業を受ける日々でした。
 自宅横は沖洲へ通じる幅四メートルの市道が通り、前後は田んぼで、農家が精を出して米や野菜を作っていました。女学校四年の七月一日、上助任の軍需工場へ配属され、健康検査を終えて、四日より勤務となりましたが、三日午後十一時、警戒警報が発令され、すぐ空襲警報発令に変わり、飛び起きて服に着替え頭巾をかぶり、庭の防空壕に祖母、母三人で避難しました。すぐにバリッパリッという音に気づき、壕よりのぞくと家が明るく照らし出され、前の田んぼで焼夷弾が一列に燃え盛っていました。照明弾も一緒に投下され真昼のよう。壕にいるのは危険に感じ、三人で裏の畑の木の下でかたまっていました。
 隣組の方に沖洲川の土手に逃げようと誘われ、道なき道の田んぼのあぜ道を迷いながら、祖母の手を引いて必死で逃げるその近くに焼夷弾が落ちてくる。みんなで励ましあってようやく土手にたどり着く。土手には小さな木々が繁り、隠れるには好都合。やっと落ちつくが、疲れきってじっとすくんでいました。真逆のときには川に飛び込む覚悟でした。爆音が遠ざかったり近づいてバリッパリッと投下しました。やがて飛行機が飛び去ると、あたりは真っ暗となり、人の顔もわからず、祖母と「やっと生きながらえたね」と手を取りあって喜びました。この土手は日頃は人が立ち入ってないので、ヒルやヘビが沢山いる所。落ちつくと無気味さが加わる。またB29が旋回して来る。東方より朝日が登り、だれかれとなく帰ろうかと歩きはじめる。一列に並んで建っていた家々が、ところどころ燃えていました。
 戦争が激しくなり高齢者は疎開するように、隣組長より伝達がありました。祖母はしぶしぶ半田町の娘の嫁ぎ先に身を寄せることとなり、私は時々祖母の安否を気づかって尋ねていく。先方は食べものが豊富にあって嬉しかったが、徳島へ帰る汽車が機銃掃射でバリッバリッと討ち込まれ、汽車は止まり、田んぼに降りて伏せる。飛行機が去ると、汽車に乗り込み動き出す。この状態で徳島駅にはなかなか着かない。
 八月十五日、天皇陛下の玉音放送を聞くようにと、祖母、母は涙を流して聞いていました。私はこれで空襲もなくなるとほっとしましたが、その後はいろいろな情報が飛びかい、不安な毎日が続く。
 私には学生時代の楽しい思い出はなかった。恥ずかしい拙い体験談です。

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